元旦!三条西実隆と文豪ストレイドッグスにみる自分を救済する方法
新年、元旦早々に不幸を感じた。 朝から、指の感覚がマヒしている。 そのせいで年越しそばのゆで方を失敗し、美味しくないそばを食べながら、色々な感慨にひたった。 去年は実家とのゴタゴタが勃発し、ストレスによる自律神経の乱れから、手足の指が半分くらいマヒしているのだ。 人間は仕事にせよ、生活にせよ、指を使いながら頭も使っている。 指がマヒすると、単に不便なだけでなく、自由な発想や思考ができなくなる。 これはおそらく、体験しないと一生知ることはない事実だろう。 やると決まったことを機械的にやる仕事と違って、古本屋さんの店主は「何をやるべきか、やらざるべきか」をすべて自分で考えて行動しなくてはならない。 だから自由な発想力、思考力が低下するのは、相当に不幸な話だ。 親のせいで仕事から生活まで足を引っ張られるのだから、不幸の極みだ。 ちなみに指のマヒはキーボードを打つタイピング作業にも支障をきたし、字も間違えまくってしまう。 話は少し変わるが、私が入学した大学の歴史学科では、戦国時代の公家・三条西実隆の日記『実隆公記』を読む会が、毎月開催されていた。 戦国時代に限らず、朝廷・公家社会では正月はもちろん、毎月一日に天皇のもとに集まって、おめでとうございますのご挨拶をする。 戦国時代は天皇も公家も経済的に困窮し、儀式や飲み会すらも自由に開催できなかった。 戦乱により地方の荘園が武士に横領され、収入源の年貢が減少したためである。 それでも、仮に貧乏でも、実隆たちは月イチで天皇に感謝し、自分の日記にも、めでたいと記す。 漫画『文豪ストレイドッグス』に、次のようなセリフがある。 「人は自分を救済するために生きている」 「自分を哀れむな。自分を哀れめば、人生は終わりなき悪夢だよ」 たとえ不幸のどん底にあっても、自分が不幸だとか、自分が可哀そうだとか思えば、ますます不幸になって、抜け出せない。 実隆たち公家のように、たとえ不幸だろうが、めでたい!と口に出して言うことが、すなわち自分を救済していくことに繋がるのではないか。 「自分を哀れむな」とは、児童養護施設で虐待を受け心に傷をもつ主人公・中島敦くんが絶望した際に、兄貴分の太宰治が敦くんに言ったセリフである。 地獄を経験してきて、おそらく一生それを背負っていくことになる敦くんだが、それでも、いやそれだからこそ、自分を哀れだと思ってはいけないの...