室町幕府奉行人連署奉書(『戦国遺文 三好氏編』参考2号)
【原文】室町幕府奉行人連署奉書(『大日本古文書石清水文書』所収菊大路文書)
(折封上書)
「八幡宮善法寺雑掌 加賀前司清房」
石清水八幡宮領摂津国中嶋内賀嶋庄事、為阿波国萱嶋庄之替地、帯 御判以下度々証文、数年当知行無相違之処、今度号三好筑前守下知、天竺越後守被官人泥堂彦左衛門尉寄事於左右、令強入部云々、言語道断次第也、所詮、為異于他神領之上者、早任奉書之旨、追出押領人、社家弥全領知、可被専神用之由、所被仰下也、仍執達如件、
永正参年四月十七日 加賀前司(花押)
大和守(花押)
当宮善法寺雑掌
【読み下し】
石清水八幡宮領摂津国中嶋内賀嶋庄の事、阿波国萱嶋庄の替地として、御判以下度々の証文を帯し、数年当知行相違なきの処、今度三好筑前守下知と号し、天竺越後守被官人泥堂彦左衛門尉、事を左右に寄せ、あながちに入部せしむと云々、言語道断の次第なり、所詮、神領他に異なりたるの上は、早く奉書の旨に任せ、押領人を追い出し、社家いよいよ領知を全うし、神用を専らにせらるべきの由、仰せ下さるる所なり、よって執達件の如し、
【現代語訳】
(折封上書)
「八幡宮善法寺雑掌 加賀前司清房」
石清水八幡宮領摂津国中嶋内賀嶋庄の事は、阿波国萱嶋庄の替地として、(足利将軍の)御判御教書やその他の証文を保持し、数年実効支配していることに間違いないところ、今度三好筑前守之長の命令だと言って、天竺越後守の被官人である泥堂彦左衛門尉が、あれこれ言い逃れをして、無理に領内に入っているといいます。
言語道断のことです。
結局、石清水八幡宮の神領であることに間違いないので、すみやかにこの文書の通りに、押領人(泥堂彦左衛門尉)を追い出し、石清水八幡宮がますます支配をして、神社としての働きを全うするべきであるということを、(将軍・足利義澄が)仰せになっておられます。
よって通達することは以上の通りです。
永正三年(一五〇六年)四月十七日 加賀前司(花押)
大和守(花押)
当宮善法寺雑掌
【コメント】
戦国時代のわりと初期、永正三年(1506)の史料です。
「三好之長の命令だから」と言って、泥堂彦左衛門尉という武士が、石清水八幡宮の領知を押領しました。
どうやら石清水八幡宮の側から室町幕府に訴えがあったらしく、押領を停止させるため、将軍・足利義澄の奉行人が文書を出すことになりました。
花押を書いている加賀前司と大和守が、奉行人です。
当宮善法寺雑掌という人物に宛てて書かれています。
当宮は石清水八幡宮のこと、善法寺は善法律寺ともいって石清水八幡宮の法務寺院、雑掌は訴訟代理人です。
史料では「すみやかに文書の通りに押領人を追い出せ」と言っていますが、幕府のお侍が追い出してくれるわけではなく、石清水八幡宮が自力で追い出さなくてはいけませんでした。
裁判の結果、幕府が認めてくれるのは「そこは石清水八幡宮の領知だから、押領人を追い出してもいいよ」という正当性だけです。
中世のこういうめんどくせえ原則を「自力救済」(じりききゅうさい)と呼び、それが当時はあたりまえのことでした。
ちなみに近代以降はこれを「じりょくきゅうさい」と呼び、裁判によらずに勝手に制裁や報復を加えるなどすることは、原則違法とされています。
たとえば、駐車場に無断駐車しているけしからん車をレッカー移動したり、罰金を取ったりすると、「自力救済」(じりょくきゅうさい)であるという理由で、駐車場の持ち主の側が処罰される可能性があるわけです。
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