三好之長書状写(『戦国遺文 三好氏編』5号)

 

【原文】三好之長書状写(『大日本古文書石清水文書』所収辻村豊徳外四人所蔵文書)

八幡宮領摂州木代庄内朝川寺事、従先師仙室東堂譲被渡候処、彼霊文書記依申掠、六郎殿被成御下地、雖然、訴訟半之事候間、為名主百性中、年貢等拘置候、若背此旨候者、可為不審儀候、恐々謹言、

(後筆)

「永正参年」

   十月十二日     之長

  木代庄        三好筑前守

   名主百性中

 

【読み下し】

八幡宮領摂州木代庄のうち朝川寺の事、先師より仙室東堂譲り渡され候処、かの霊文書記申し掠むるにより、六郎殿御下知をなさる、しかりといえども、訴訟なかばの事に候間、名主・百姓中として、年貢等抱え置き候、もしこの旨に背き候わば、不審の儀たるべく候、恐々謹言、

 

【現代語訳】

石清水八幡宮領摂津国木代庄にある朝川寺のことは、先師(前の住職)から仙室東堂が(住持職を)譲り渡されたところ、あの霊文書記がウソをついて誤魔化したことにより、六郎殿(細川澄元)がご命令を下しました。

 しかし、まだ訴訟の途中なので、名主・百姓たちは、年貢等を支払わず手元にとどめておきなさい。

 もしこのことに背けば、けしからぬ事です。恐々謹言。

 

【コメント】

永正三年(1506)、三好之長が出した文書です。

前号文書(『戦国遺文 三好氏編』4)は、三好之長が、摂津国木代庄の支配を担っていた池田遠江守に出した文書でした。

今回は、内容はほとんど変わりませんが、木代庄の「名主・百性中」に対して出されています。

前号文書で見たように、霊文書記という瑞祥寺の僧侶が、木代庄にある朝川寺の住職になろうとたくらみ、朝川寺に居座っています。

木代庄の領主である石清水八幡宮から幕府に訴えがあり、摂津守護の細川澄元から、その配下の三好之長へ命令が下り、こうして之長が文書を出しています。

「訴訟が途中なので年貢を支払うな」とは、相論がまだ解決していない、つまり霊文書記がまだ朝川寺に居座っていることを意味しています。

中世の寺社はアジール(治外法権)であったため、武家の権力が充分に及ばず、このように相論が長引いているものと思われます。


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