私の不登校と島本理生さん『匿名者のためのスピカ』
8月、高校の恩師に会うために、郷里を訪れた。
1年ほど前、約20年ぶり(?)にお会いしたのだが、そのときは「古本屋、始めました」と告げただけで、ほかに何を話したかもよく覚えていない。
それでも高校時代は相当に先生を悩ませた問題児であったから、その私がとにかくも正職についたこと、それも古本屋とかいう得体の知れぬ職業のこととて、驚いておられた気がする。
今年は、6月くらいに「是非ともお会いしたい、先生もご高齢のことゆえ」と、怪しげなメールを送り、面会の約束をした。
いざ8月下旬にお会いしたが、1年前とは打って変わって、私はマシンガンのようにしゃべり続けた。
要するに、私は躁状態だった。
それも先生とお会いするうれしさから一時的に元気がわいたとかではなく、はっきり申せば病的な精神の高揚であった。
私の躁状態は5月から続いていたが、3か月も燃え続けたせいであろう、そのころはいくぶんか高ぶりも下火になっていた。
だから私は、どうしても伝えたかったことを優先的に話題に選び、話し始めることとした。
それは、正しさが必ずしも人を救わない、ということであった。
…ある小説を、半分ほど読んだ。
そのとき私は躁状態で極めて頭脳が冴えていたから、最後まで読むことなしに、その後のストーリー展開や作者の主張を手に取るように思い描くことができた(あるいはそのように妄想した)。
小説の基本設定は、こうである。
主人公は、法科大学院に通う弁護士志望の男子学生である。
彼の相棒役として、同じ大学院の検察官志望の男子学生が登場する。
やはり同じ大学院に通うヒロインが登場し、彼女と主人公はあっさりと付き合いはじめる。
さらにヒロインには元カレがおり、彼はヒロインが高校生のころ、彼女を監禁した前科をもつ。
主人公は記憶力はすばらしいが、人の心の裏を読むことが大の苦手で、国語の問題で登場人物の気持ちを答えさせるような問題がまったく分からないような人物である。
弁護士を目指す彼は法律の条文などもすらすら暗記しており、いわば正義を象徴するようなキャラクターだ。
一方で相棒は、母親から冷たくされたことで苦しみ、かつては女の子をとっかえひっかえしては傷つけるという荒れた十代を送った過去をもつ。
そのとき、彼の悪行を見かねた叔父が彼を殴り倒したが、彼は涙を流して謝ったという。
ヒロインの境遇は相棒に似ており、彼女も母親との関係がうまくいかなかったことで苦しみ、高校時代には、元カレとの共依存的な恋愛に逃避した。
ヒロインと元カレは監禁事件をきっかけに分かれたはずだったが、実は共依存の関係は継続しており、いまだにつながっていた。
やがて、元カレはヒロインの弟を殺害し、そして元カレとヒロインは、沖縄に逃亡する。
私は、二人が沖縄に逃げ、それを主人公と相棒が追いかけて沖縄に到着し、探索活動を開始したあたりまで読み、そこで本を閉じた。
それは地獄のような小説で、それ以上は読むことが苦痛だったからだ。
主人公は、おそらくは自閉スペクトラム症(ASD)というキャラ設定だろう。
そして相棒、ヒロイン、元カレは、3人とも愛着障害だと思う。
登場人物たちの心の苦しみがどぎつく描かれており、私は読むのが苦しかったのだ。
だから私は、それ以後のストーリーを勝手に想像してしまった。
作者の島本理生さんにはなんとも非礼にあたると思うが、あくまで私の想像、憶測として、私はその後のストーリーを、恩師の前で語ったのである。
以下は、あくまですべて私の想像である。
主人公と相棒は、ヒロインと元カレを見つけ出す。
元カレは殺人犯として警察に突き出されるだろうが、主人公はヒロインを許し、手をさしのべようとする。
愛着障害をもち、ましてや共依存関係にある殺人犯と逃避行するような女には関わるべきではないと普通は思うだろうし、本来なら許してはいけないはずだ。
しかしおそらく、彼はヒロインを許す。
正しさを象徴するような人物のはずだった彼が、社会通念上は正しくない手段を用いて、しかも人の心が分からないはずの彼が、もっとも人の心に寄り添った行動をとるのだ。
もちろんそれで彼女を100%救うことはできないが、私はそれでも1%程度は彼女の心を救えるのではないか、と思った。
元カレといまだにつながっていたはずなのに主人公に接近して交際を始めたヒロインを評して、作中で相棒役の彼が言ったセリフが、「僕もやはり笹井さん(主人公のこと)を選ぶと思う」というものだ(手元に本がないので、うろ覚え)。
かつて叔父にぶん殴られて泣いて謝った経験をもつ彼は、おそらく次のように思っていたのではないか。
いわゆる非行や問題行動をしている人も、実はそれが悪いと分かっているが、どうしてもやめられず抜け出せない…。
それでも、いつか正しい大人に引っ張り上げられて、救い出してほしいと思っている…。
かつての相棒がそうであったし、元カレと共依存しているヒロインも、おそらくそういう思いで、主人公に接近したのではないか…。
相棒はそう言いたかったのではないか。
高校時代の私は不登校で、また問題行動も多かった。
恩師にはやたらめったら心配も迷惑もかけたが、結局私は高校を中退した。
荒れた高校生だった私に、彼はずいぶんと目をかけてくれたし、社会通念上は正しくないと思われる手段までをも用いて、手をさしのべようとしてくれた。
それでも彼が私を100%救うことはかなわず、私は高校をやめてしまったけれど、おそらく私は1%程度は救われたのである。
私は恩師の前で言った…”なぜなら、今でもつながりがあるから”、と。
現実には、正しい手段だけでは救えない人がいる。
もちろん正しからざる手段によっても私は救われなかったけれど、正しくない手段を用いおのれが傷ついてまで私を救おうとした大人がいたという事実は、私の心に確実に爪あとを残した。
私はさらに恩師に言った。
「先生が救おうとして、結局中退した生徒たちも、おそらく1%程度は救われたと思います」。
まったく我ながら、100%パーフェクトな感謝を伝えるセリフと言わざるを得ないだろう。
私は躁状態だったから、さらにそれからも延々と機関銃のようにしゃべり続け、名ごりおしかったけれど先生にそれではまたお会いしましょうとあいさつして、かつて地獄のような苦しみの青春時代を送った高校をあとにした。
勝手に作品のストーリーを想像して解釈を加えてしまったことを、島本理生さんにはお詫びしないといけないと思います。
まことに申し訳ありませんでした。
紹介させていただいた小説は『匿名者のためのスピカ』(祥伝社文庫)です。
ちなみに蛇足になるけれど、私は島本さんが19歳で芥川賞候補になって注目されたときから彼女を知っており、読者としてはいわば古参であります。
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