「甲州地震」安政東海地震(南海トラフ巨大地震)の史料

24.2 × 24.7cm 「甲州地震」と題する史料で、甲州 ( 山梨県 ) の地震被害を報告している。 差出人と受取人の名前がないため、瓦版のように配布されたビラ的な史料なのかもしれない。 紙質から江戸時代ごろの史料と思われるが、いつの地震を記したものか、推測してみたい。 地震が発生した日と時間について、「当月四日辰中刻」と記されている。 江戸時代の甲州で、「四日の辰の中刻 (8 時 20 分 ) 」ごろに起こった地震としては、嘉永 7 年 ( 安政元年、 1854 年 )11 月 4 日 ( 新暦では 1854 年 12 月 23 日 ) の「安政東海地震」が考えられる。 これは「南海トラフ巨大地震」のひとつとされ、津波や家屋の倒壊・火災によって、数千人が死亡したと推測されている。 地震の規模はマグニチュード 8 クラスと推測されている。 また、この地震の翌日には、南海地方 ( 四国地方 ) で同規模の「安政南海地震」が発生した。 この史料は甲州の地震を伝えたものであるため、津波の被害については言及がないが、甲州では特に家屋の倒壊被害が大きかったことが記されている。 この時の「南海トラフ巨大地震」からすでに約 170 年が経過しており、現代の日本では次の「南海トラフ巨大地震」への対策が叫ばれている。 【翻刻】 甲州地震 一、当月四日辰中刻、大地震ニ付、八日町通 壱丁目、表通、左表筋之弐丁目中程迄、 魚町三丁目中程、同町弐丁目西かわ、 大半壊、山田町壱丁目少し、柳町壱丁目 中程大半壊、同町弐、三、四丁目共壊家 少し、連尺町壱丁目中程、大半壊れ、 片保町ゟ西之方、無記、金子町ゟ東方 無記、八日町ゟ南連尺町迄、大地震□、 魚町五丁目、桶屋町抔も余程壊し 相成、此段御しらせ申候、