激おこおやじの古文書を読む
上田三郎書簡 上田信次郎宛
【状態】18.2×131.5cm
上田三郎から、上田信次郎に宛てた手紙である。
三郎は父、信次郎は息子と思われる。
父子の素性は、明らかではない。
この手紙によると、父が息子に「帰国してほしい」と言ったところ、息子は「一文無しで、帰国するお金がない」と答えたらしい。
「帰国」といっても、息子は外国にいるわけではなく、東京にいることが、手紙を読んでいくと分かる。
「帰国」とは、故郷である「国」に帰ることを意味しているようである。
息子は、東京で「一日三十五銭」の給料で3~4ヶ月働いていたが、所持金がまったくなかったという。
国立国会図書館デジタルコレクションで「一日三十五銭」と検索すると、だいたい大正時代(1912~26)ごろの日給が、それくらいだったようである。
一文無しであるという息子の手紙を読んで、父は激怒し、母は泣いて暮らしているという。
手紙のやりとりをしている息子は二男で、長男は豊蔵といったらしい。
「二人とも人々ニ笑はるゝが如き行為を致しつゝあれば」とあるため、どうやら長男も「ダメ息子」だったことがうかがえる。
実家は農家だったようで、息子が帰国しなければ、耕作地を減らしたり、小作人に耕したりさせなければならないという。
父は、それなりの広さの土地を所有する、地主的な存在だったのかもしれない。
父の怒りのボルテージは、二伸(追伸)でさらに勢いを増している。
とにかく、現代語訳だけでも読んでいただきたいものである。
【翻刻】
上田信次郎君
取り急き一寸申上候、
陳れば、貴君此度帰国せら
れ度しと申送り候処、目下
旅金一文無しニて、帰る能はずと
為し候が、三、四ヶ月も働きて
一文なしとは、如何なる事
に候や、人様ニ借りられたる
ニ候か、亦貴君が費し候や、
憚らず御知せ被下度候、次ニ
貴君は相続人ニ有之申さず候
ニ付、始終父母の膝下ニ居る
訳ニはゆかず、外へ出ずべき人ニ
御座候間、無理ニ御帰り被遊
せと云ふニはあらず候、其れとも
若し東京ニて身を保つ見込
なく帰国致し度御思召され候
はゞ、栄吉殿ニ依頼致し
置き候ニ付、帰国致す丈の旅
費を拝借致して帰宅致し
給ひ、何れなりとも貴君の
御勝手次第ニ御取り計らへ被下
度候、時期も切迫致し居り、
あぜ塗り田打等も盛りニ御座
候らへは、此状着次第、御返事
被下度候、貴君が御帰り
無之候へば、耕作地を減じ、人ニ
小作致させ度候ニ付、当方の都合
も有之候、依て至急御返事
被下度、御待ち申居り候、
四月十一日 上田三郎
上田信次郎君
二伸
貴君、能く考へて見給ひ、故郷を立つ時は、
如何なる御考へにて御立出給ひしや、
まさか家内の金を持ち出し、己れ一人
費さんとは思召され候や、彼の河村
寔君等を御覧なさい、兎ニ角学校へ
通学致し居る由ニ候はずや、然るニ
貴君は如何であるか、最初の希望は
何処ニ有るか、一日三十五銭ニて三月も
四月も働きて一文なしとは、何たる
原因ぞや、小生が上京致したる中度、
所持金の二円は人ニ盗まれ、主人
の金五円、取遣り辨金致し、一文
なしと相成りしものニ候、貴君も小生の
二の舞を致さるゝ積りニ候や、母上は
貴君が一文なしと云ふ御手紙を見しより、
昼夜悲泣致し居られ候、多くも無き
二人の子供を持ち、相当の教育も成し
てやり、二人とも人々ニ笑はるゝが
如き行為を致しつゝあれば、寝ても覚
めても、初終忘るゝ能はすと、業も
縁々致さず居られ候処が、下女もなく
我と二人と豊蔵のみ、尚小生は二月、
三月の二ヶ月間は、役場ニ雇はれ、藁仕業
非常ニ遅れ居る処、本年は治水掛
ニせられ、普請等ニ小生出れば、妻と下男
のみニて、何とも致し方無之候、貴君が
帰国するならは宜しけれ共、帰国せず
ニ東京の人となるならば、作を
減ぜんければならぬ、何れニしても、
此状着次第、至急返被下度候、
【現代語訳】
上田信次郎君へ。
急いでちょっと申し上げます。
さて、貴君に今度、帰国してほしいと申し送ったところ、現在旅金が一文無しで、帰ることができないと言います。
しかし、三、四ヶ月も働いて、一文無しとは、どういうことでしょうか。
他人様に借金されたのでしょうか。
または、貴君が使ったのでしょうか。
遠慮せず、お知らせください。
次に、貴君は相続人ではないので、いつまでも父母の保護下にいるわけにはいかず、外へ出るべき人ですから、無理にお帰りくださいとは言いません。
それでも、もし東京で身を保つ見込みがなく、帰国したいとお考えならば、栄吉殿に依頼しておいたので、帰国するための旅費を拝借して帰宅なさって、いずれにせよ貴君のやりたいようにしてください。
時期も切迫しており、あぜ塗りや田打ちなども盛んな時ですから、この手紙が届き次第、ご返事をください。
貴君がお帰りにならなければ、耕作地を減らし、他人に小作させたいので、こちらの都合もあるのです。
よって、すぐにご返事をください。
お待ちしています。
四月十一日 上田三郎
上田信次郎君
追伸。
貴君は、よく考えて、故郷を立つ時は、いかなるお考えでご出発されたのですか。
まさか、家族のお金を持ち出し、おのれ一人で使おうとお考えになったのですか。
あの河村寔君をご覧なさい。
とにかく学校へ通学しているというではないですか。
それなのに、貴君はどうでしょうか。
最初の希望は、どこへいったのでしょうか。
一日三十五銭で、三ヶ月も四ヶ月も働いて、一文無しとは、何が原因なのですか。
小生が上京した時は、途中で所持金の二円は他人に盗まれ、主人からお金五円を借りて補って、一文無しになったものでした。
貴君も小生の二の舞になるおつもりですか。
母上は、貴君が一文無しであるというお手紙を見てから、昼夜悲しんで泣いておられます。
子沢山ではないけれど二人の子供を持ち、それ相当の教育も受けさせ、二人とも人々に笑われるような行為をしつつあれば、寝ても覚めてもいつも忘れることもできず、仕事もずっとできずにいます。
しかし、下女もおらず、私と母上二人と、豊蔵だけです。
なお、小生は二月と三月の二ヶ月間は、役場に雇われたので、藁仕事が非常に遅れてしまっていたところ、今年は治水係をやらされて、普請などに小生が行けば、妻と下男だけで、何とも致し方ないところです。
貴君が帰国するならばよいのですが、帰国せずに東京の人になるならば、耕作地を減らさなければなりません。
いずれにしても、この手紙が到着次第、すぐにご返事をください。
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