森羅万象システム その①

 森羅万象システム その①


コンピュータは0と1の二つの数字によって演算をおこなうが、人間の思考のなかでも「第六感」は、三つの要素によって演算をおこなう思考形態であると私は考えている。

後述するが、私はこの三つの要素を、「酸性」「アルカリ性」「中性」という比喩を用いて説明したいと思う。

ところで、人間の脳には、森羅万象すべての「物理現象」とそれが持つ意味について、真偽を判断した「命題」が一つ一つ、あらかじめすでに存在している、と私は考えている。

この無数の「命題」の集合体を用いて演算をおこなう脳の機能を、私は「森羅万象システム」と呼んでいる。

一つの問題(=「物理現象」)に関して、「森羅万象システム」にはそれぞれ「リトマス紙」とでも呼ぶべき反応装置が備え付けてあり、視覚や聴覚など五感によって一つの「物理現象」を知覚すると、「酸性」「アルカリ性」「中性」のいずれかの反応を示す。

「中性」とは「無反応」のことで、その「物理現象」に対して「何も感じない」ことを意味する。

そして「酸性」か「アルカリ性」か判断した内容(=「命題」)をもとに、コンピュータで言えば0か1かの二元論的な「命題」を用いた論理演算をおこなう。

「天才」と呼ばれる人が物事に対して優れた分析や豊かな認識を持ち得る理由は、一つの「物理現象」に対して「リトマス紙」が「中性」として反応するケースがいわゆる「凡人」に比べてずっと少ないのである。

「凡人」なら「何も感じない」のに、「天才」は「感じている」のだ。

「凡人」の持っている「命題」は数少なく、「天才」はたくさんの「命題」を持っている。

「天才」はそれだけ多くの「命題」を用いて論理演算をおこなうことが可能であるため、「凡人」より多角的に、豊かに世界を把握できるし、豊かな問題意識を持つことができる。

「天才」と「凡人」の両者を分けるポイントは、どれだけ多くの「リトマス紙」が反応するか?にある。


たとえば目の前で交通事故が起こったとしよう。

交通事故という一つの出来事には、無数の「物理現象」が組み合わされているはずだ。

「森羅万象システム」では、その無数の「物理現象」つまりは無数の情報を知覚すると、一つ一つの「物理現象」に対して一回一回「リトマス紙」が反応し、一つ「命題」が選択される。

交通事故という無数の「物理現象」の集合体に対して、「凡人」の「リトマス紙」のほとんどが「中性」を示すのに対して、「天才」は「凡人」と比較にならない数の「リトマス紙」が、「酸性」か「アルカリ性」のいずれかとして反応する。

例えるなら、「凡人」は「リトマス紙」が10枚しか反応しない(残りはすべて「中性」としか反応しない)のに、「天才」は1000兆枚の「リトマス紙」が反応するのである。

この反応数の圧倒的な違いにより、「天才」は交通事故という一つの現象から、圧倒的多数の「命題」を使用した論理演算をおこなうことで、世界を豊かに把握することが可能となる。

「凡人」は交通事故を前にして、「こわい!」「痛そうだ!」「けが人は大丈夫かな!?」「自分も気を付けよう!」「事故を起こした運転手はけしからんな!」といった感想を持つだろう。

これに対して「天才」は、そうした一般的な感想に加えて、事故の原因、運転手の心理、交通事情、社会、政治、人間…無数の問題点を抽出する。

「一を聞いて十を知る」という言い方があるが、「天才」の場合は一つの交通事故から「1000兆」の情報を引き出せる、つまり「一」を聞いて「1000兆」を知るのである。


芸術家の中でも特に「天才」と呼ばれるような人々は、「リトマス紙」の反応数が圧倒的に多いのだと思われる。

一つの事柄から1000兆の情報を引き出せるのなら、それだけ鋭く世界を把握して豊かに表現できるのは、当然の道理だ。

これは政治家や学者などについても同様のことが言える。

「天才」的な政治家は「一」から「1000兆」の情報を得て世界を適切に把握し、より有効な政策を実行できる。

「天才」的な学者は「一」から「1000兆」の情報を得て世界を適切に把握し、より妥当な学説を導き出す。


ところで、「勉強が出来ることと、頭が良いことは、違う」とお考えの方は、数多くおられると思う。

「勉強が出来るくせに頭の悪いやつ」「高学歴だけどバカなやつ」が存在することは、これまでの我々の人生でしばしば目にしてきた現象だろう。

学校の勉強は、記憶力や計算力などIQによって示される能力があれば、テストで高い点数を取ることができる。

そうした能力が高いのに頭が悪い、つまり道理に暗い人間がいるということは、IQと「森羅万象システム」における演算能力は、異なっていることを示している。

高学歴バカの頭の鈍さの正体とは、彼らは「リトマス紙」のほとんどが「中性」としか反応しないのである。

それだけ演算に使用できる「命題」が少ないのだから、彼らが真実を把握できなかったり、あるいは何も考えていない人間にしか見えないのは、これまた道理である。

逆に言えば、勉強は得意ではないが鋭い意見を持っているような人がいれば、彼らはたくさんの「リトマス紙」が反応する人間、つまり優れた「森羅万象システム」を持っている人たち、ということになる。


ところで、このエッセイの最初で「森羅万象システム」のことを「第六感」と表現した。

一般的に「第六感」とは「直感力」のことを意味しており、視覚や聴覚など五感を超えた「直感」によって真実を見抜いてしまう能力を指す。

「森羅万象システム」とは、五感が「物理現象」という情報を知覚すると、そこから即座に無数の「リトマス紙」が反応して論理演算を試み、世界を把握する思考能力である。

実は、何かの問題について考えるとき、すべての人間は「第六感」によって思考し、結論を導き出している。

人が意見を述べるとき、「私の考えはこれこれです。その理由はこれこれです」と説明すると思うが、理由の説明はあとから論理を構築して結論の説得力を高めようとしているだけで、言ってみれば理論武装であり、結論は最初に「森羅万象システム」が導き出したものだ。

「森羅万象システム」とは、熟慮して結論を導き出すという作業をすっ飛ばして、「物理現象」からダイレクトに結論につなげてしまう思考形態、つまり「第六感」である。

「直感」や「第六感」と言うと、五感ではない怪しげな能力のように感じられるが、実際には脳内で「物理現象」にもとづいた論理演算がおこなわれているのだ。

「第六感」が優れている人、つまり「何となく真実を見抜いてしまう人」というのは、ほんの数少ない情報から結論を導き出せる、つまり「森羅万象システム」がそれだけ優れている人ということになる。


ここで少し話題をずらして、私の学歴について述べる。

私は大学院の修士課程で歴史学を学んだため、少しだけ学問や研究について知識がある。

「天才」的な学者は優れた「森羅万象システム」を持っている、という意味のことを先に述べたが、「学説」というものは「森羅万象システム」による結論だけでは成り立たないのである。

「森羅万象システム」がいわば「直感」的に導き出した結論は、学問ではあくまで「仮説」の段階である。

学問研究では、この「仮説」が成り立つのか、あるいは成り立たないのか、検証を試みる。

そして成り立つことが証明できると判断すれば、その「仮説」が正しいということを、様々な客観的な根拠を提示して論理を組み立てることで説明し、「学説」として主張する。

優れた学者は、「森羅万象システム」のような「直感力」に加えて、それが導き出した「仮説」を検証し、論証できる能力を持っている。

一方で「ダメな学者」というのは、彼らの「森羅万象システム」が導き出す「仮説」がそもそも妥当性に欠けるダメな「仮説」で、さらにそれを検証する論理的な能力も劣っている人間ということだ。

「直感力」だけではダメであり、多くの本や論文を読み、人の話を聞き、私が専攻した歴史学では史跡を訪れて見聞を広める、文化財に直接触れるなど、様々な「勉強」をしなくては、検証や論証する能力は身に付かない。

私事になるが、私が歴史学者になる夢を挫折したのは、「勉強」することが面倒くさくて出来なかったからである。

十代のころは学校の勉強は得意だったからIQは低くないはずだし、また別のエッセイで書きたいと思うが「森羅万象システム」のような直感的な感受性も豊かな子供だった。

しかしコツコツと「勉強」を積み重ねる才能、つまり「努力」できる才能というものが私には欠けており、そのため夢であった歴史学者になることは残念ながらできなかった。


ここでさらに話題をすっ飛ばすが、この「森羅万象システム」が極めて優れているキャラクターを、私は知っている。

『文豪ストレイドッグス』という漫画・アニメ作品に登場する「江戸川乱歩」という探偵である。

江戸川乱歩は実在する作家の名前だが、この作品のキャラはみんな実在する文学者から名前が付けられている。

この作品の文豪を模したキャラたちは、それぞれ異能力と呼ばれる超能力を持っている。

乱歩さんの異能力は「超推理」と呼ばれるもので、事件に関する状況証拠一つとか、死体が転がっている場面一つを見ただけで、犯人から犯行の背景からすべての事件の真相が分かってしまう。

さらに乱歩さんの「超推理」は事件だけでなく、ほとんど世の中のすべての事柄について、証拠が一つあれば真理が見抜けてしまう異能力なのだ。

ところが、作品中でもはっきり言及されているが、乱歩さんの「超推理」は実は異能力ではない。

乱歩さんは異能力者ではなく、推理力がものすごく優れた、いわば普通の人間だった、と作品中では明かされている。

彼が使っている推理力は、おそらく「森羅万象システム」だろう。

彼は一つの状況証拠を見ただけで、世界について「1000兆」の情報を引き出して説明ができてしまう、ということだろう。

「一」を聞いて「1000兆」を知ることができる乱歩さんは、まさしく天才である。

ちなみにぜんぜん関係ない話題だが、この作品に登場する「自殺マニア」の「太宰治」というキャラは、乱歩さんほどではないが極めて頭が切れるイケメンで、さらにアニメの声優は宮野真守さんであり、私は太宰推しなのである。

ちなみに、現実の私は天才的な乱歩さんや切れ者の太宰さんではなく、主人公である中島敦くんにもっとも近い存在である。

敦くんについて知りたい方は、原作のマンガか、アニメを見て頂くと面白いかと思う。


以上、人間の思考を「森羅万象システム」という概念でとらえる私の考えを述べてきた。

相当に観念的で、思索が足りない未熟な点もあり、説明に用いた比喩も分かりにくいかもしれず、読んで頂いた方には異論・反論・疑問もあるかもしれない。

ただ、面白く読んで頂いたなら、筆者としてはありがたきしあわせです。ありがとう!

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