源義経の古文書 ただし偽文書。
文治五年(1189)四月十八日付、源義経とその従者・亀井六郎が連署した文書の写しだが、不審な点が多く、偽文書である。
義経が会津依田村の祖兵衛に酒を渡し、兵糧を借用したが、もし返済しなければ「その時の将軍へ参礼出願せよ」とある。
源頼朝の将軍任官は1192年であるし、「其時之将軍江参礼可出願」という文言も不審な表現である。
ちなみに義経は同年閏四月三十日に奥州の衣川で討たれる。
つまり義経が死の直前に酒と引き換えに兵糧米を得た、という設定である。
この文書は「寛保三年(1743)に祖兵衛が年貢未納により土地没収された際に、祖兵衛宅で古菰に包まれて発見された」と注記されているが、このエピソード自体が疑わしい。
※文書は長野県の北相木村役場の封筒に入っており、一度は史料調査されたことが分かる(所蔵者の渡辺渡一氏は北相木村議会の副議長)。
【翻刻】
借用申証文之事
一、今度、小酒渡候ニ付、為喰米と物米七斗借用
申処紛レ無御座候、万一無偏斉之候ハゝ、其時之
将軍江参礼可出願もの也、為後生仍而如件、
文治五年四月十八日
伊予守
源義経判
重者
亀井六郎
会津依田村
祖兵衛殿
一、此度依田村祖兵衛殿、寛保弐年ゟ御年貢上納不仕
候ニ付、闕所被 仰付候所ニ、家ノ棟木ニ古菰ニ包置候ヲ
苅落シ改候得ハ、右之証文在之候、持高三百石、
従御 公儀ゟ被下置候事、無相違御座候事、
寛保三亥年迄、五百五拾弐石ニ成なり
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