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9月, 2024の投稿を表示しています

伊達綱村の古文書を読む

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松平陸奥守 ( 伊達綱村 ) 書状 藤井宛 【状態】シミ、 34.5 × 51cm   【翻刻】 一筆申上候、まつ〳〵 御きけんよく御さ なされ候や、うけたま ハりたくそんし上候、 こゝもとさむさつよく、 一昨夜ゆきふり、一尺 はかりつもり申候、 わたくし無事に つとめ、今日は 覚範寺殿御位 はひおかみたてまつり、 御太刀・御馬代さし 上申候、首尾よく はからひまいらせ候、 序なから申上候、 織部は度々そこ ( 以下下段 ) もとへまいり勤候や、 主馬大人しく、作法存 のほかよく、ことに主馬ハ 少つゝ用たしつか ハれ申候、妹とも そくさいのよし うけたまハり候、 大慶の事に 御さ候、めてたく かしく、    まつたいら 十日  むつのかみ  藤井へ   【読み下し】 一筆申し上げ候、まずまずご機嫌よく御座なされ候や、承りたく存じ上げ候、ここもと寒さ強く、一昨夜、雪降り、一尺ばかり積り申し候、私無事に勤め、今日は覚範寺殿御位牌、拝み奉り、御太刀・馬代差し上げ申し候、首尾よくはからいまいらせ候、ついでながら申し上げ候、織部はたびたびそこもとへ参り勤め候や、主馬おとなしく、作法存知のほか良く、ことに主馬は少しずつ用足し使われ申し候、妹ども息災の由、承り候、大慶の事に御座候、めでたくかしく、   【現代語訳】 一筆お手紙を申し上げます。まずはご機嫌いかがでしょうか。承りたく存じます。こちらは寒さが強く、一昨夜は雪が降って、一尺 ( 約 30cm) ほど積もりました。私は無事に法事を勤め、今日は覚範寺殿 ( 伊達輝宗 ) のご位牌を拝ませていただき、御太刀・馬代を覚範寺に差し上げました。首尾よくとりはからうことができました。ついでながら申し上げます。織部はたびたびそちら行へって勤めているでしょうか。主馬は大人びており、作法は思いのほか良く、特に主馬は少しずつ用足しに使われています。妹も息災であると、承りました。めでたいことです。めでたくかしく。   【解説】 松平陸奥守から、藤井という人物に宛てた書状である。 内容は、①雪が 30cm 積もったこと、②覚範寺殿 ( 伊達輝宗...

私の不登校と島本理生さん『匿名者のためのスピカ』

8月、高校の恩師に会うために、郷里を訪れた。 1年ほど前、約20年ぶり(?)にお会いしたのだが、そのときは「古本屋、始めました」と告げただけで、ほかに何を話したかもよく覚えていない。 それでも高校時代は相当に先生を悩ませた問題児であったから、その私がとにかくも正職についたこと、それも古本屋とかいう得体の知れぬ職業のこととて、驚いておられた気がする。 今年は、6月くらいに「是非ともお会いしたい、先生もご高齢のことゆえ」と、怪しげなメールを送り、面会の約束をした。 いざ8月下旬にお会いしたが、1年前とは打って変わって、私はマシンガンのようにしゃべり続けた。 要するに、私は躁状態だった。 それも先生とお会いするうれしさから一時的に元気がわいたとかではなく、はっきり申せば病的な精神の高揚であった。 私の躁状態は5月から続いていたが、3か月も燃え続けたせいであろう、そのころはいくぶんか高ぶりも下火になっていた。 だから私は、どうしても伝えたかったことを優先的に話題に選び、話し始めることとした。 それは、正しさが必ずしも人を救わない、ということであった。 …ある小説を、半分ほど読んだ。 そのとき私は躁状態で極めて頭脳が冴えていたから、最後まで読むことなしに、その後のストーリー展開や作者の主張を手に取るように思い描くことができた(あるいはそのように妄想した)。 小説の基本設定は、こうである。 主人公は、法科大学院に通う弁護士志望の男子学生である。 彼の相棒役として、同じ大学院の検察官志望の男子学生が登場する。 やはり同じ大学院に通うヒロインが登場し、彼女と主人公はあっさりと付き合いはじめる。 さらにヒロインには元カレがおり、彼はヒロインが高校生のころ、彼女を監禁した前科をもつ。 主人公は記憶力はすばらしいが、人の心の裏を読むことが大の苦手で、国語の問題で登場人物の気持ちを答えさせるような問題がまったく分からないような人物である。 弁護士を目指す彼は法律の条文などもすらすら暗記しており、いわば正義を象徴するようなキャラクターだ。 一方で相棒は、母親から冷たくされたことで苦しみ、かつては女の子をとっかえひっかえしては傷つけるという荒れた十代を送った過去をもつ。 そのとき、彼の悪行を見かねた叔父が彼を殴り倒したが、彼は涙を流して謝ったという。 ヒロインの境遇は相棒に似ており、彼女も母親...

【除籍本を読む】第3回 お気に入りの一冊をあなたへ 読書推せん文コンクール 令和5(2023)年度入賞作品

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書名:第3回 お気に入りの一冊をあなたへ 読書推せん文コンクール 令和5(2023)年度入賞作品 発行年:令和6年(2024) 発行者:博報堂教育財団 地元の図書館で除籍本として配っていたものを、無料でもらってきた。 小中学生が、自分が誰かにすすめたい本を紹介する推薦文を募集して、その入賞作品を集めた本。 「小学校1~3年生の部」「小学校4~6年生の部」「中学生の部」の3つの部門に分けられている。 3部門すべてに共通していたのは、若々しく豊かな感受性で作品を捉え紹介した推薦文がみられたこと。 なかには、明らかに若き芸術家の片鱗を見せているとしか思えないものや、これは本当に小学●年生が書いたのかと疑ってしまう感受性や世界観を感じさせる推薦文もあった。 私はこの本をファミレスで読みながら、大人の心を突き刺してくる名文の数々に、ダラーッと涙と鼻水を流した。 周りのお客さんが不審がらないように、少し顔をふせた。 個人的に気になったのは、読点「、」を使わない文章表現だ。 つまり、それほど長くないひとつのセンテンスで、一度も読点を使わないことで文に疾走感が生まれ、一筆書きで一気に文字を書くかのように、一気に自分の思いを表現した一文があった。 これは一人ではなく、数人の方にみられた。 また、内容とは直接関係ないが、推薦文を書いた小中学生のお名前で、いかにも今風な感じだが、優しさとかたくましさなどが感じられる、つまり命名したご両親の思いやネーミングセンスが感じられる素敵なお名前がたくさんあった。 その点でも、私を温かい気持ちにしてくれた。 ここまで良き良きなことを書いてきてアレだけど、ちょっと悪口も書いておきたい。 豊かな感受性で書かれた推薦文の数が、部門が上がるごとに減っている。 「小学校1~3年生の部」はほとんどすべてがすばらしい感性を感じさせるものだったが、「小学校4~6年生の部」になると、あれ、少し減ったかな、と思ってしまうのだ。 これが「中学生の部」になると、芸術的な感性で書かれた推薦文にまじって、平凡なもの、現実を見ずに理想を語ったもの、流行の思想や社会の風潮に飛びついているものなどが、いわば激増する。 選考委員は6名の方々で、肩書は博報堂のえらい人、文科省のえらい人、大学の教育学者(お二人)、児童文学作家、コラムニストである。 私は最初、部門によって選者が別で、「中学...

夏休みの自由研究:データとかあるんですか?

私が小学生だったころやらかした、夏休みの自由研究について、思い出を書いてみたい。 令和の世では、小学生には自由研究とかいう夏休みの宿題が課され、少なからざる少年少女が苦闘しているらしい。 私が小学生だった90年代も、今ほど口やかましく大流行はしていなかったが、そんな課題が実在した。 夏休み、海に遊びに行った。 私の自由研究は、「潮の満ち引きと魚の釣れ具合」というテーマだった。 海岸から投げ釣りをして、1時間ごとに何匹の魚が釣れたか、メモを取った。 すると、だいたい満潮の時刻の前後1時間くらいが、明らかに釣れた魚の数が少ない、というデータがあぶり出された。 これは、満潮や干潮の前後は「潮どまり」といって潮の動きがにぶくなるため魚が釣れなくなる、という現象である。 もちろん新発見とか大発見とかではなく、すでに広く世の中に知られている知識だ。 しかし、小学生の私は「満潮の時刻にもっともたくさん魚が釣れる」と思いこんでいたから、私の常識はくつがえされ、少なくとも私にとっては「新発見」であった。 私が小学生だったころの自由研究の思い出といえば、こんな感じだった。 令和の小学生がどんな研究をしているのか、ぜんぜん知らないのだが、なんか彼らが研究のネタ探しにかなり苦悩しているというお話は、たびたび耳にする。 一応は大学院を出たことにより研究をかじった経験をもつ私から、悩める小学生に指示厨ムーブをかますなら、やはり「観察して記録する」とか「数字のデータを取る」といった作業をすれば、それなりにイイ自由研究になるかもしれない。 「データとかあるんですか?」「それってあなたの感想ですよね?」と友だちから煽られても、ちゃんと反撃できるぜ。 余談だが、私の同級生は、ホームセンターで買ったヘリコプターの木製模型(組み立て式)を自由研究として提出した。 別にそれはそれでいいと思うけど、その模型を「自分で作ったヘリコプター」だと担任が勘違いして、彼はそれをガラス戸棚に飾っていた。 さらに余談だが、彼は授業中に私をぶん殴るという体罰をおこなって私を病院送りにした、というイカれた経歴を持つ、豪の者であった。 事件はもみ消されたが、その年度を最後に、彼は小学校から消えた。 その後の彼の消息を知る者はいない……。

【除籍本を読む】 太平のカメ日記

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 太平のカメ日記 作:別司芳子 絵:岡本順 文研出版 2009年 私はこの本を、地元の図書館で無料でもらってきた。 除籍本としてタダで配っていたからで、私も自宅でリクガメを飼っているから、どうせタダやろ、と軽い気持ちでもらってきたのだ。 この本の主人公で小学5年生の太平も、軽い気持ちで、ニホンイシガメ、その名も「ガッチン」を飼うことになる。 バレンタインデーの3日前、教室で、生き物係の春奈ちゃんが、カメを飼ってくれる人を探していた。 そのカメは、足が1本失われていた。 誰もカメを飼うと手を挙げなかったが、太平は春奈ちゃんに気に入られたい、という不純な動機で、カメを飼うと立候補する。 さらなる好感度アップ作戦のため、太平はカメの飼育日記、その名も「太平のカメ日記」というブログを始める……。 やがて太平はガッチンを飼うのがイヤになって、ガッチンを捨てようとしたり、それを偶然止めようとしたクラスメートの実香と仲良くなったり、実香の姉・なおリンと友達になったり…と物語は進んでいく。 なおリンはダウン症という障害を持っていて、実香や彼女の家族はそれゆえのさまざまな葛藤をかかえている。 しかしなおリンはカメを7匹も飼っているカメ好きで、太平たち登場人物の関係性は、ガッチンや7匹のカメたちを通じて、新たな展開をみせ、やがて家族の葛藤も解決へと向かう。 太平はガッチンとの出会いから始まって、なおリンと出会い、実香ともそれまでとは違った関係性を築いていく。 最後、太平が実香に対して恋心を抱き始める描写がある。 しかし太平が告白するようなことはなく、ガッチン(メスだった)がなおリンの飼っているカメから1匹を「おむこさん」に迎える、というお話で結末となる。 足が3本のガッチンと、なおリンは、明らかに似た者同士として描かれている。 実香は、太平がガッチンを捨てようとしたとき、「カメは捨てられるけど…」とつぶやく。 これは、実香となおリンの関係が、非常に微妙な問題を抱えていることを意味する。 しかし、太平はガッチンを捨てなかったし、ラストでは実香も、なおリンに抱いていた葛藤を解消していくのだ。 ダウン症や家族の葛藤といった設定は、児童文学としてはやや難しくとっつきにくいかもしれない。 しかしこの小説には、「出会い」が人を変え成長させる、という重要なテーマがあると思う。 「あとがき」で...